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土御門天皇(つちみかどてんのう)は何の神様?土佐・阿波への旅と和歌、祀られる神社 | 神様図鑑

土御門天皇ツチミカドテンノウは、都を離れて四国で生涯を終え、その御霊を慰め、徳をしのぶために祀られている天皇です。土佐から阿波へ移った足跡は、神社や史跡、望郷の思いを詠んだ和歌に残っています。

目次

土御門天皇ツチミカドテンノウは何の神様?

土御門天皇ツチミカドテンノウは、第83代の天皇で、その御霊が神として祀られている人物神です。都へ戻ることなく四国で生涯を終えた天皇をしのび、その御霊を慰めようとする思いから、ゆかりの土地で神として敬われてきました。

1195年に生まれ、1198年に幼くして即位しました。承久の乱の後に土佐、続いて阿波へ移り、1231年に阿波で亡くなりました。晩年を過ごした阿波では、火葬塚のそばや御所の伝承地に社が建てられ、上皇の暮らしと最期を語り継いでいます。

明治時代には、父・後鳥羽天皇ゴトバテンノウゆかりの水無瀬神宮の前身にも合祀されました。現在は父と弟・順徳天皇ジュントクテンノウの御霊とともに祀られ、父子三人をしのぶ祭りが続いています。

土御門天皇ツチミカドテンノウの別名

退位後は土御門上皇ツチミカドジョウコウや土御門院ツチミカドインと呼ばれ、和歌の作者名にも土御門院ツチミカドインの名が見られます。生前の名は為仁タメヒトで、土佐院トサイン・阿波院アワインという呼び名も伝わります。

区分別名・呼称
皇子としての名為仁親王タメヒトシンノウ
退位後の呼称土御門上皇ツチミカドジョウコウ、土御門院ツチミカドイン
四国での滞在にちなむ呼称土佐院トサイン、阿波院アワイン

「土佐」は現在の高知県、「阿波」は現在の徳島県に当たります。土佐院トサイン・阿波院アワインはいずれも土御門天皇ツチミカドテンノウを指す呼び名です。

土御門天皇ツチミカドテンノウの御神格・ご利益・ご神徳

土御門天皇ツチミカドテンノウは、ゆかりの土地で御霊を祀られる神として敬われています。父と弟を合わせた三天皇を祀る水無瀬神宮では、家内安全や厄除など、暮らしに身近な願いが寄せられています。

土御門天皇ツチミカドテンノウの御神格

項目内容
御神格天皇の御霊として祀られる人物神、阿波のゆかりの地で敬われる祭神

阿波市には上皇の仮の御所の跡と伝わる場所があり、かつて御所神社が鎮座していました。地元で「御所さん」と親しまれ、秋祭りには神輿や屋台、夜店が出てにぎわったといいます。

土御門天皇ツチミカドテンノウのご利益・ご神徳

項目内容
ご利益厄除、家内安全、身体健康、心願成就、安産など(水無瀬神宮の祈願)
ご神徳家族の平安や健康、願いの成就を祈って仰ぐ守護と恵み(水無瀬神宮の祈願)

水無瀬神宮では、三天皇の御霊を仰いで、家族の無事や願いの成就を祈ります。厄年の厄除や出産を控えた安産祈願など、日々の暮らしの不安や人生の節目に向き合う祈りが続いています。

子どもの誕生を報告する初宮詣や、成長を喜ぶ七五三の参拝も行われています。神恩感謝の祈祷もあり、無事に日々を過ごせることへのお礼を神前で伝えます。

土御門天皇ツチミカドテンノウの家系図・関係する人々

土御門天皇ツチミカドテンノウの父は後鳥羽天皇ゴトバテンノウ、母は源在子ミナモトノザイシです。順徳天皇ジュントクテンノウは父を同じくする異母弟で、1210年に土御門天皇ツチミカドテンノウから皇位を受け継ぎました。主な家族関係は次のとおりです。

関係人物名・説明
父後鳥羽天皇ゴトバテンノウ。退位後も院政を行い、承久の乱を起こしました。
母源在子ミナモトノザイシ。承明門院ショウメイモンインの院号を持ちます。
中宮(皇后)大炊御門麗子オオイノミカドレイシ。後に陰明門院オンメイモンインと呼ばれました。
妃源通子ミナモトノミチコ。後嵯峨天皇ゴサガテンノウの母です。
子後嵯峨天皇ゴサガテンノウ。名は邦仁クニヒトで、1242年に即位しました。
異母弟順徳天皇ジュントクテンノウ。後鳥羽天皇ゴトバテンノウの皇子で、兄の後を継いだ第84代天皇です。

承久の乱に積極的に関わった順徳天皇ジュントクテンノウと、討幕計画に加わらなかった土御門天皇ツチミカドテンノウでは、その後の子の立場も変わりました。1242年の皇位継承では、鎌倉幕府が順徳天皇ジュントクテンノウの皇子の即位に反対し、土御門天皇ツチミカドテンノウの子である後嵯峨天皇ゴサガテンノウが即位しています。

土御門天皇ツチミカドテンノウはどこに流された?土佐から阿波へ

土御門天皇ツチミカドテンノウが承久の乱の後に移り住んだのは土佐国の幡多で、その後、阿波国へ移りました。幡多は現在の高知県西部、阿波は現在の徳島県に当たります。同じ承久の乱で都を離れた父・後鳥羽天皇ゴトバテンノウの行先は隠岐、弟・順徳天皇ジュントクテンノウの行先は佐渡でした。

土御門天皇ツチミカドテンノウは父の討幕計画には加わっていませんでした。『増鏡』は、父が遠い土地へ移されたのに自分だけが都で安らかに暮らすことを恐れ、自ら土佐へ向かったと伝えています。一般に「配流」と呼ばれる出来事ですが、本人が下向を望んだという事情があります。

土佐へ出発したのは1221年。幡多では中村などに滞在した伝承が残っていますが、御所の詳しい場所は分かっていません。阿波へ移ったのは一般に1223年とされ、1222年などの説もあります。

『増鏡』には、幕府が少しでも都に近い所へ移るよう願い出たと記されています。阿波では御所が整えられ、上皇は歌を詠みながら暮らしましたが、帰京はかないませんでした。1231年に阿波で亡くなり、数え年37歳でした。

御陵は京都府長岡京市の金原陵カネガハラノミササギです。阿波で火葬された遺骨は、後に母の承明門院ショウメイモンインが建てた金原法華堂へ移されました。徳島県鳴門市には宮内庁が管理する火葬塚、阿波市には御所跡や終焉の地と伝わる場所があり、それぞれ異なる土地に足跡が残されています。

土御門天皇ツチミカドテンノウの和歌に残る思い

土御門天皇ツチミカドテンノウは和歌を多く残した歌人でもあります。1216年に詠んだ百首をまとめた『土御門院ツチミカドイン御百首』と、四国へ移った後の歌を収めた『土御門院ツチミカドイン御集』が伝わり、勅撰和歌集にも作品が選ばれています。

「うき世にはかかれとてこそ生まれけめことわり知らぬ我涙かな」

『続古今和歌集』巻十九「雑下」に収められ、『増鏡』にも引かれている一首です。このつらい世では、こんな目に遭う定めで生まれたのだろう。それなのに、自分の涙はそんな道理も分からずに流れてしまう、という思いが詠まれています。「ことわり」は道理や理屈のことで、運命をのみ込もうとする心と、止まらない涙とが向き合っています。

四国での歌には、名月や正月などの行事に結びつくものもあります。都を離れた暮らしの中でも、季節の節目を歌で迎えていました。

土佐の中村には、「行きつまる里を我が世と思へどもなほ恋しきは都なりけり」という歌が伝わります。当地の御座所から月を眺めて詠んだという話とともに語り継がれる、望郷の伝承歌です。

土御門天皇ツチミカドテンノウの神話・伝承

中世の歴史物語『増鏡』は、父と弟が都を去った後、土御門天皇ツチミカドテンノウが自ら土佐へ向かう姿を描いています。幼い皇子を都に残し、吹雪の道を進む旅の一場面です。

都に残ることを選べなかった上皇

『増鏡』「新島守」をもとに、情景や会話、心の動きを添えて物語にしました。

袖を引き寄せても、風は指の間に入り込んだ。粗末な輿がひと揺れするたび、土御門天皇ツチミカドテンノウは冷えた手に力を込める。外は白くかすみ、これから進む道も、通ってきた道も見えなくなっていた。

父の後鳥羽天皇ゴトバテンノウが隠岐へ、弟の順徳天皇ジュントクテンノウが佐渡へ去ったとき、都にはまだ自分の居場所があった。朝になれば人が仕え、夜になれば寝床が整えられる。その変わらぬ暮らしを思うたび、胸が詰まった。

自分は戦いに加わっていない。咎めを受けずに済んだのに、目を閉じれば、知らない土地へ運ばれていく父の姿が浮かんだ。明日も、明後日も、自分だけが都で穏やかな朝を迎えるのか。

「私も、都を離れよう」

口にすると、胸につかえていたものが少し動いた。だが、幼い皇子を都に残していくことを思えば、唇はすぐに重くなった。父のことを思って決めた旅が、今度は自分と子を引き離す。

そして今、輿は土佐へ向かっている。風の音の切れ間から、人が雪を踏む鈍い音が聞こえた。何か言おうと唇を開きかけたが、冷たい息が喉に触れ、声にならなかった。

父は今、どんな風の中にいるのだろう。弟は、この空のどこかを見ているのだろうか。自分で選んだ旅なのだから耐えねばならないと、膝の上で指を重ねた。

それでも、涙がこぼれた。頬を伝う間だけ温かく、拭った袖は風を受けてこわばっていく。凍った布を握りしめても、涙は止まらなかった。

輿がまた揺れた。土御門天皇ツチミカドテンノウは袖を握り直し、顔を上げる。白い風の向こうへ、足音はゆっくりと続いていった。

土御門天皇ツチミカドテンノウゆかりの神社・祀られている神社

土御門天皇ツチミカドテンノウの祭祀は、晩年を過ごした阿波と、父ゆかりの水無瀬に受け継がれています。阿波では上皇の暮らしや最期をしのぶ土地の伝承が、神社の由緒に結びついています。

水無瀬神宮|大阪府三島郡島本町

水無瀬神宮は、後鳥羽天皇ゴトバテンノウ・土御門天皇ツチミカドテンノウ・順徳天皇ジュントクテンノウを祀る神宮です。父の水無瀬離宮跡に設けられた御影堂を起源とし、1873年に土御門天皇ツチミカドテンノウと順徳天皇ジュントクテンノウの御霊が合祀されました。1939年には水無瀬神宮の名となりました。

毎年11月13日には土御門天皇ツチミカドテンノウ祭と武者小路千家の献茶祭が行われます。境内には名水として知られる「離宮の水」があり、茶の湯とも縁の深い神宮です。年間祭事には、裏千家や表千家による献茶の行事もあります。

⇒水無瀬神宮公式サイトはこちら

⇒水無瀬神宮公式サイトはこちら

阿波神社|徳島県鳴門市

阿波神社は、土御門天皇ツチミカドテンノウを祭神として祀っています。大麻町池谷にあり、大鳥居の西側には宮内庁が管理する土御門天皇ツチミカドテンノウの火葬塚があります。

前身の丸山神社は火葬塚の北側にあり、「天皇さん」と呼ばれていました。1940年には徳島県の紀元二千六百年記念事業として、新たな社殿の造営が計画されました。県民の寄付や勤労奉仕に支えられ、1943年に社殿が完成しました。

⇒【徳島県観光情報サイト阿波ナビ】阿波神社の紹介ページはこちら

御所神社|徳島県阿波市土成町吉田

吉田の御所神社では、素盞鳴命スサノオと土御門天皇ツチミカドテンノウを主祭神として祀っています。もとは吹越神社という社名でしたが、1957年、上皇の行宮跡にあった御所神社を合祀し、現在の名に改められました。行宮とは、天皇や上皇が一時的に暮らす御所のことです。

現在の社は椎ヶ丸古墳の上に鎮座し、土御門上皇ツチミカドジョウコウ行宮跡は別の場所にあります。2021年には御遷幸八百年式典と、行宮跡近くの「御所ノ井」を再興した報告祭が行われました。行宮跡の周辺には、「北門」や「遊塚」などの地名も残っています。

⇒御所神社公式サイトはこちら

土御門天皇ツチミカドテンノウが祀られている主な神社

阿波市の宮川内にも、土御門天皇ツチミカドテンノウの御霊を祀る御所神社があります。吉田の御所神社の境内から離れて鎮座する境外社で、通称は奥御所神社です。

神社名住所
御所神社(通称・奥御所神社)徳島県阿波市土成町宮川内上畑89

吉田の御所神社から北へ約6キロの川沿いにあり、上皇が最期を迎えたという伝承が残っています。

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