日本大国魂大神は、大和の土地とそこに生きる人々を守り、日本の国土の守護神として敬われてきた神です。奈良県天理市の大和神社に祀られ、旅の安全や暮らし、産業の繁栄を願う信仰につながっています。宮中で天照大神とともに祀られた伝承をたどりながら、似た名前の神々との関係や、現在の神社に残る祈りを紹介します。
日本大国魂大神は何の神様?
日本大国魂大神は、国土そのものと、そこで営まれる暮らしを守る神です。神名の「日本」は「やまと」と読み、現在の奈良県にあたる大和の名が込められています。大和神社では大地主大神とも呼ばれています。
「国魂」とは、国や土地に宿る霊的な力を表す言葉です。作物が育ち、人々が暮らせる土地の力を神として敬う信仰があり、日本大国魂大神は大和の地主神から、日本の国土全体を守る神として仰がれるようになったと考えられています。
『日本書紀』では、天照大神とともに天皇の宮殿内で祀られていた神として登場します。崇神天皇は二柱の神威を畏れ、それぞれを宮中の外で祀ることにしました。祭祀を任された皇女が衰弱して務めを果たせなくなるなど、神に仕えることの厳しさも語られています。
大地を治めるという性格は、同書の垂仁天皇二十五年条に載る別伝にも見られます。そこでは大倭大神が、自らの役割を大地の支配にあると告げています。古代には朝廷から重く敬われ、現在も土地や生活を守る信仰、遠方へ出かける人の無事を願う信仰が受け継がれています。
日本大国魂大神の別名・読み方
日本大国魂大神は「やまとおおくにたまのおおかみ」と読みます。「倭」「日本」「大和」という表記の違いに加え、国土の守護神としての働きを表す呼び名があります。
| 区分 | 別名・異表記 |
|---|---|
| 『日本書紀』の呼び名 | 倭大国魂、倭大国魂神、日本大国魂神、大倭大神 |
| 大和神社などの信仰上の呼び名 | 日本大国魂大神、大和大国魂大神、大地主大神 |
「大国魂」「大國魂」は新字体と旧字体の違いです。この名は各地の土地を守る神にも使われ、府中の大國魂神社では武蔵国、北海道神宮では北海道の国土の神として祀られています。「日本大国魂大神」の「やまと」は、そうした国魂の神の中で、大和との結びつきを表しています。
大国魂命は「おおくにたまのみこと」と読み、『出雲国風土記』にも見える神名です。飯梨郷の名の由来として、この神が天から降り、そこで食事をしたという話が伝わります。同じ「大国魂」の名でも、宮中から大和へ祀られた伝承や、出雲の土地に残る伝承など、さまざまな物語があるのです。
大国主命の荒魂とみる説
日本大国魂大神には、国づくりの神である大国主命の荒魂とみる説があります。荒魂とは、神の力強い働きを表す呼び名です。後世の『大倭神社註進状』は、倭大国魂神を大己貴神の荒魂と伝え、江戸時代の国学者・平田篤胤もこの説を取り上げました。
大己貴神は大国主命の別名で、『古語拾遺』には、その呼び名の一つとして大国魂神も挙げられています。国土を育み、人々の暮らしを支える神として、両者を結びつけてきた信仰がうかがえます。
日本大国魂大神の御神格・ご利益・ご神徳
日本大国魂大神には、国土を守り、人々の暮らしを支える神としての信仰があります。大和神社では、旅の安全から農業・商工業の繁栄まで、土地に根ざした生活と外へ向かう活動の双方に加護が祈られています。
日本大国魂大神の御神格
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御神格 | 国土・大地の守護神、旅と航海を守る神、産業の繁栄を司る神 |
大和神社では、日本の大地主の神として、交易・農業・工業・商業など、さまざまな産業の発展を司るとされています。
旅を守る神としての信仰には、遣唐使を送り出した時代の祈りが残っています。天平五年(733年)、山上憶良は唐へ向かう多治比広成に「好去好来」の歌を送りました。『万葉集』巻五のこの歌では、大和の大国御魂が空から一行を見守り、神々が船を導いて無事の帰還へ力を貸す姿が歌われています。
「好去好来」には、無事に行き、無事に帰ってきてほしいという願いが込められています。大和神社の境内には、この歌を伝える歌碑が平成二十七年(2015年)に建てられました。
日本大国魂大神のご利益・ご神徳
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ご利益 | 交通安全、旅行安全、厄除け、家内安全、商売繁盛、合格祈願など(大和神社の祈願) |
| ご神徳 | 国土と暮らしの守護、旅の無事、産業の発展、交易や学びを支える働き |
大和神社の旅行安全祈願では、国内旅行や海外旅行に加え、単身赴任中の人の無事も祈られています。道中の災いを避け、身体を守り、旅の目的を果たせるよう願います。
唐から文化や知識を持ち帰る使節とのゆかりから、交易や学問を勧める神としても敬われています。合格祈願のほか、入園・入学を迎える子どもの学業や身体の安全を願う就学安全の祈願も行われています。
土地を守る信仰は、建物を建てる前に土地の神へ安全を願う地鎮祭にも通じます。大和神社では地鎮祭をはじめ、家内安全や各種の除災安全の祈願も受け付けています。
日本大国魂大神の家系・関係する神々
『日本書紀』では、日本大国魂大神の父母・配偶神・子・兄弟姉妹を示す系譜は語られず、国を鎮める祭祀の場面で姿を見せる神として登場します。宮中でともに祀られた天照大神や、同じ時期に祭祀が整えられた大物主大神との関係が語られています。
一方、『古事記』には、よく似た名の大国御魂神が登場します。「おおくにみたまのかみ」と読み、父は大年神、母は伊怒比売とされます。この神を倭大国魂神と結びつける説もありますが、同じ神かどうかは見解が分かれています。
神に仕える人々として伝承に登場するのが、皇女の渟名城入姫命と、市磯長尾市です。崇神天皇はまず皇女に祭祀を託し、のちに夢のお告げを受けて市磯長尾市を祭主に立てました。
日本大国魂大神の神話・伝承
『日本書紀』の崇神天皇紀には、国の混乱の中で、倭大国魂神を誰が祀るべきかが定まる物語があります。大物主大神の祭祀とともに神々への祈りが整えられ、国が落ち着きを取り戻すまでの話です。
祈りを託す人を求めて
『日本書紀』崇神天皇紀をもとに、情景や会話を添えて物語にしました。
朝の光が差しても、崇神天皇は顔を上げられなかった。住まいを捨ててさまよう民がいる。従わなくなった人々もいる。知らせを聞くたびに息が詰まり、夕暮れにはまた、神々の前で頭を垂れた。
天皇の御殿には、天照大神と倭大国魂神が並んで祀られていた。間近にお仕えする二柱の神の力が、今はひたすら恐ろしい。同じ屋根の下で過ごしながら、天皇は心の休まる場所を失っていた。
「このままにはしておけぬ」
天照大神の祭祀は豊鍬入姫命に託し、笠縫邑へ移す。日本大国魂神には、渟名城入姫命を仕えさせる。崇神天皇六年、天皇は二柱を宮中とは別の場所で祀る道を選んだ。
しかし、渟名城入姫命の身体に異変が起きた。髪に触れた手に、抜け落ちた毛が残る。腕は痩せ、身を起こすだけでも力が要るようになった。
祭りを務めなければ。そう思って姿勢を正しても、身体がついてこない。渟名城入姫命は細くなった手を握り、「どうか、国をお守りください」と声を絞った。
ついに皇女は、祭祀を務められなくなった。知らせを受けた天皇は口を開きかけ、そのまま閉じた。国を鎮めようと祭りを託した娘が、祈り続ける力を失っている。誰に、どう祀らせればよいのか。
翌年の八月、三人が同じ夢を見たと申し出た。天皇の前で、一人が夢に現れた貴人の言葉を語り始める。大物主大神の祭主には大田田根子を、倭大国魂神の祭主には市磯長尾市を立てよ。そうすれば、天下は安らかになるという。
天皇は三人の顔を見た。聞き違いではないかと、もう一度、その名を確かめる。返ってくるのは同じ答えだった。胸に固く居座っていた不安の中に、初めて進む道が見えた。
今度こそ、国を安らかにできるかもしれない。天皇は喜びを胸に、人々へ命を下した。教えに従って祭主を立てるため、神を祀る支度が進められた。
十一月、祭りに供える品々が整った。大田田根子は大物主大神に、市磯長尾市は倭大国魂神に仕える役目を担う。長尾市は神前で息を整え、深く頭を下げた。
他の神々を祀るための占いにも、よい答えが出た。数多くの神々が祀られ、社や、祭祀を支える土地と人々の定めも整えられていく。疫病が鎮まり始め、国の騒ぎも少しずつ静まった。
穀物は豊かに実り、人々の暮らしを満たした。天皇のもとへ届く知らせにも、ようやく安らぎが戻ってくる。朝夕に重ねた祈りの先で、国は静けさを取り戻していた。
日本大国魂大神ゆかりの神社・祀られている神社
大和で受け継がれてきた祭祀に加え、淡路や阿波にも「やまと」の名を持つ国魂の神を祀る古社があります。朝廷の祭祀、地域の豊作への祈り、神を迎える祭礼など、それぞれの土地で信仰が続いています。
大和神社|奈良県天理市
大和神社は「おおやまとじんじゃ」と読み、日本大国魂大神を本殿中央に祀る神社です。八千戈大神と御年大神も祀られ、宮中から日本大国魂大神を移して祀ったことを創建の由来としています。
毎年四月一日の「ちゃんちゃん祭り」では、二基の神輿を中心に氏子たちの行列が御旅所へ向かいます。名前は鉦の音に由来すると伝わり、御旅所では龍の口舞や、農耕と雨を表す翁の舞が奉納されます。この祭りは奈良県指定の無形民俗文化財です。
近代には戦艦大和の艦内にも御分霊が祀られました。境内には戦艦とのゆかりを記す碑や、亡くなった乗組員らを祀る祖霊社があり、現在も慰霊が続けられています。
大和大国魂神社|兵庫県南あわじ市
淡路島の榎列上幡多に鎮座し、大和大国魂大神を主祭神とする神社です。創建の年代は分かっていませんが、仁寿元年(851年)には朝廷の祭祀を受ける官社に加えられ、淡路国の二宮として敬われました。
大和神社の祭祀を担った倭氏と、淡路の海人とのつながりから、大和の国魂の神を迎えたと伝わります。海人は漁業や海上の交通を担った人々で、倭氏は淡路の「御原の海人」を率いたとされています。国土を守る神への祈りは、海を行き来する人々とも深く結びついていました。
社には平安時代の銅製の印「大和社古印」が伝わり、県指定の文化財となっています。例祭は四月一日です。
倭大國魂神社|徳島県美馬市
美馬町の倭大國魂神社は、大国魂命と大己貴命を祀る古社です。創建年代は不詳で、社伝では『延喜式』に記された神社に当たるとされ、小笠原氏から崇敬されたと伝わります。
社へ向かう石段は百九段あり、七五三の十五段、女性の厄払いの三十三段、男性の厄払いの六十一段にちなむ構成です。社に伝わる木造の神像は高さ約三十センチで、剣を杖のように持つ姿をしています。背面には「大島郷倭大國魂神社」と墨書されています。
日本大国魂大神が祀られている主な神社
大和神社の境外摂社にも、日本大国魂大神の祭祀が受け継がれています。
| 神社名 | 住所 |
|---|---|
| 御旅所坐神社(大和稚宮神社) | 奈良県天理市中山町 |
御旅所坐神社は、大和神社と同じ三柱を祀る社です。「ちゃんちゃん祭り」で神輿が向かう御旅所となり、神を迎える祭祀が行われます。
北海道神宮・大國魂神社で祀られる国魂の神
北海道神宮に祀られる大国魂神は、「北海道の国土の神」とされています。明治二年(1869年)、東京の神祇官で大那牟遅神・少彦名神とともに祀られた開拓三神の一柱で、北海道の開拓と発展を守る神として奉斎されました。大那牟遅神は大国主命と同じ神と説明され、大国魂神とは別の祭神として祀られています。
一方、東京都府中市の大國魂神社では、大國魂大神を武蔵国の守り神として祀り、大国主命と同じ神であると伝えています。武蔵国内の神々を合わせ祀る総社でもあります。大和では国土を守る神、北海道では開拓を見守る神、武蔵では国づくりを伝える神というように、国魂の信仰にはそれぞれの土地の歩みが重なっています。