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明治天皇(めいじてんのう)は何の神様?祀られる理由・家系と生涯・ご利益 | 神様図鑑

明治天皇メイジテンノウは、近代日本の天皇としての事績をたたえ、その徳をしのんで祀られている神様です。明治神宮では皇后の昭憲皇太后ショウケンコウタイゴウとともに祀られ、国の安泰から家内安全まで、さまざまな願いが寄せられています。名前や家族、生涯をたどりながら、神様として敬われるようになった経緯を紹介します。

目次

明治天皇メイジテンノウは何の神様?

明治天皇メイジテンノウは、近代日本の国づくりを担った功績をたたえ、国の安泰や人々の幸福を祈って祀られる神様です。第122代の天皇として幕末から明治を生き、1912年に亡くなった後、その徳をしのんで神霊を祀りたいという願いが広がりました。

在位中には、1889年の大日本帝国憲法の発布、1890年の帝国議会の開設などが進みました。当時の憲法では天皇が国の元首として統治権を持ち、近代国家の中心に位置づけられていました。全国への巡幸や新聞、肖像画などを通じて、その姿は広く人々に知られるようになり、崩御は明治という時代の終わりとして受け止められました。

明治神宮は、皇后の昭憲皇太后ショウケンコウタイゴウが1914年に亡くなった後、二人を祭神として造営が進められました。生前からゆかりのあった代々木が鎮座地に選ばれ、1915年には内務大臣の管理下に明治神宮造営局が置かれます。国の事業としての創建に、全国からの献木や青年団などの奉仕が加わりました。

1920年11月1日、明治神宮は両祭神を迎えました。天皇夫妻の徳を末永くしのぶ場として生まれた神社では、現在も皇室の繁栄、国の安泰、世界平和を祈る祭祀が続いています。

明治天皇メイジテンノウの名前・別名

明治天皇メイジテンノウの個人名は睦仁ムツヒトです。こうした個人名を「諱(いみな)」といいます。幼い頃の呼び名と、死後に贈られた呼び名もあり、それぞれ用いられた時期が異なります。

区分名称と意味
幼い頃の呼び名祐宮サチノミヤ。幼少期に用いられた宮号です。
諱睦仁ムツヒト。1860年に親王となる際、父の孝明天皇コウメイテンノウから与えられました。
追号・祭神名明治天皇メイジテンノウ。在位中の元号「明治」に基づく死後の呼称で、明治神宮などの祭神名にも用いられています。

1912年8月27日には、「明治天皇メイジテンノウ」の追号を奉告する儀式が行われています。

明治天皇メイジテンノウの御神格・ご利益・ご神徳

明治天皇メイジテンノウへの信仰は、近代の君主を敬い、国や人々の安寧を祈る祭祀に結びついています。昭憲皇太后ショウケンコウタイゴウとともに祀られる明治神宮では、家内安全や厄祓、合格祈願など、暮らしに身近な願いも寄せられています。

明治天皇メイジテンノウの御神格

項目内容
御神格近代の天皇を神として敬う人物神、国家と人々の安寧を祈る祭神

誕生日にあたる11月3日には、各地の神社で明治祭が行われます。近代国家の発展に関わる事績をたたえ、皇室や国の繁栄、文化や産業の発展、平和を祈る祭りです。

明治天皇メイジテンノウのご利益・ご神徳

項目内容
ご利益家内安全、厄祓、合格祈願、商売繁昌、良縁祈願など。明治神宮で両祭神に願われる主な祈願。
ご神徳皇室と国の繁栄、人々の幸福、文化・産業の発展や平和を願う信仰のよりどころ。

明治神宮の神楽殿では、神楽舞を奉納して両祭神へ祈願します。家族の無事を願うほか、初宮詣や七五三、入学・卒業の報告など、成長や人生の節目に合わせた参拝も行われています。

和歌を通じて祭神の心に触れる「大御心」というおみくじもあります。明治天皇メイジテンノウの和歌である御製と昭憲皇太后ショウケンコウタイゴウの御歌から15首ずつを選び、解説を添えたものです。吉凶の表示はなく、和歌に込められた教えを日々の心がけとして受け取ります。

明治天皇メイジテンノウの家系図・皇后と子ども

明治天皇メイジテンノウの父は孝明天皇コウメイテンノウ、生母は中山慶子です。皇后は一条家出身の昭憲皇太后ショウケンコウタイゴウ1人です。このほかに、皇子女を産んだ女官が5人おり、側室として紹介されています。

関係神名・人物名と説明
父孝明天皇コウメイテンノウ。明治天皇メイジテンノウは第二皇子にあたります。
生母中山慶子。公家の中山忠能の娘です。
皇后昭憲皇太后ショウケンコウタイゴウ。一条家の出身で、名は美子ハルコ。明治天皇メイジテンノウの皇后となりました。
皇子女の生母葉室光子、橋本夏子、柳原愛子、千種任子、園祥子の5人。宮中に仕えた女官です。
子大正天皇タイショウテンノウを含む5男10女、計15人。死産の2人を含み、成人したのは1男4女です。

「妻が6人」と紹介されるのは、皇后1人と側室5人を合わせた数です。側室と呼ばれる女性たちは女官として宮中に仕え、人物や時期によって典侍(ないしのすけ)、権典侍(ごんのないしのすけ)、権掌侍(ごんのないしのじょう)などの役職に就いていました。

昭憲皇太后ショウケンコウタイゴウには実子がなく、皇位を継いだ大正天皇タイショウテンノウの生母は柳原愛子です。大正天皇タイショウテンノウの名は嘉仁ヨシヒトで、1879年に生まれた明治天皇メイジテンノウの第三皇子にあたります。1912年、明治天皇メイジテンノウの崩御に伴って皇位を継ぎました。

成人した4人の皇女は、いずれも園祥子を母とする昌子内親王・房子内親王・允子内親王・聡子内親王です。それぞれ竹田宮家・北白川宮家・朝香宮家・東久邇宮家へ嫁ぎました。

明治天皇メイジテンノウの生涯・生まれた場所と死因

明治天皇メイジテンノウは1852年11月3日、当時の暦では嘉永5年9月22日に京都で生まれました。産所は、生母の実家である中山邸に設けられました。現在の京都御苑北部には中山邸跡があり、産屋や、産湯に用いたと伝えられる「祐の井」が残っています。

1867年に皇位を継ぎ、翌1868年に即位の礼が行われ、元号が明治へ改められました。同年には江戸城が皇居となり、天皇の生活と政務の中心も東京へ移っていきます。幕末から明治への転換を経験し、1912年まで在位しました。

晩年には糖尿病と慢性腎臓炎を患い、病状が悪化して尿毒症を併発しました。宮内省が1912年7月20日に病状を公表すると、官報や新聞を通じて全国へ伝わりました。同年7月30日に崩御し、満59歳、数え年では61歳でした。

墓所は京都市伏見区の伏見桃山陵フシミノモモヤマノミササギです。東京の明治神宮は神霊を祀る神社、京都の伏見桃山陵は天皇が葬られた陵墓として、それぞれに参拝が続いています。

明治天皇メイジテンノウの神話・伝承

明治神宮には、皇后の健康を気遣った明治天皇メイジテンノウが、代々木の庭を整えたという逸話が伝わります。現在も御苑に咲く花菖蒲は、皇后が散歩を楽しめるようにとの思いから植えられたものです。

皇后のために整えた代々木の庭

明治神宮が紹介する「代々木の里」の逸話をもとに、情景や会話を添えて物語にしました。

明治天皇メイジテンノウは、広げられた図面の上で指を止めた。皇后が歩く庭を、代々木に作りたい。けれど、紙に引かれた道を目で追っても、まっすぐ先へ抜けるだけでは物足りなかった。

「道を曲げよう。歩きながら、十分に体を動かせるように」

角を曲がれば、次の景色が見えてくる。その先には何があるのだろうと、皇后が自然に足を進められる庭がよい。図面を前にした技師たちは指示を受け、曲がり方や道筋を慎重に考え直した。

ようやく設計が認められ、造園が始まった。しばらくして、古い井戸が見つかったという報告が届く。侍従の澤宣元サワノブモトの言葉に、天皇は顔を上げた。「水は出るか」と尋ね、返事を待つ。豊かに湧き出していると聞くと、天皇はうなずいた。

それなら、井戸から流れを作り、八つ橋を架け、そのそばに菖蒲を植えよう。図面の道筋に、水の音と花の色が重なり、皇后が足を止める景色まで思い浮かんだ。

指示を受け、新宿御苑などの菖蒲が少しずつ株分けされ、流れの中へ移されていった。曲がりくねった道のそばで、花を育てる支度が進む。皇后の健やかな日々を願って図面に加えた工夫が、代々木の庭に一つずつ形を持ち始めた。

⇒【明治神宮】「代々木の里」の逸話紹介はこちら

明治天皇メイジテンノウゆかりの神社・祀られている神社

明治天皇メイジテンノウを祀る神社には、天皇夫妻を中心に祀る明治神宮のほか、北海道の開拓に関わる由緒から祭神に加えた神社があります。地域の人々が建立した社や、別の神社に合祀された例もあり、祭祀が始まった時期や事情はそれぞれ異なります。

明治神宮(東京都渋谷区)

明治天皇メイジテンノウと昭憲皇太后ショウケンコウタイゴウを祀る代表的な神社です。約70万平方メートルの鎮守の杜は、創建時に各地から献じられた約10万本の木々を植えて育てた人工林で、都心に広い緑を残しています。

7月30日には崩御をしのぶ明治天皇メイジテンノウ祭、11月1日には創建を記念する鎮座記念祭が行われます。11月3日は例祭で、天皇の使者である勅使が遣わされます。社殿は1945年の空襲で本殿などを失い、1958年に再建されました。御苑やミュージアムでは、祭神ゆかりの庭や品々にも触れられます。

⇒明治神宮公式サイトはこちら

北海道神宮(北海道札幌市中央区)

北海道神宮は、明治天皇メイジテンノウと、開拓三神と呼ばれる大国魂神オオクニタマ・大那牟遅神オオナムチ・少彦名神スクナヒコナを祀ります。始まりは1869年、明治天皇メイジテンノウの詔によって、北海道の開拓を守護する三神を東京で祀った「北海道鎮座神祭」です。

その後、神々は北海道へ移され、1871年には札幌神社として円山の地に鎮座しました。明治天皇メイジテンノウ自身が祭神に加えられたのは1964年で、このとき北海道神宮へ改称されています。6月15日を例祭日とし、札幌のまちと結びつく祭礼が受け継がれています。

⇒北海道神宮公式サイトはこちら

北海道神宮頓宮(北海道札幌市中央区)

北海道神宮頓宮は、本社と同じく明治天皇メイジテンノウと開拓三神を祀る末社です。円山の本社へ冬に参拝することが難しかったため、1878年に市街地の南2条東3丁目へ、遠くから拝むための遥拝所として設けられました。

火災の後、1910年には札幌神社の拝殿の古材を用いた社殿が奉納され、頓宮という名になりました。1947年には本社の分霊を迎え、地域の守護神を祀る末社となっています。1964年の本社の改称に伴い、名称も北海道神宮頓宮となりました。現在も札幌まつりの神輿が立ち寄る御旅所を務めています。

⇒北海道神宮頓宮公式サイトはこちら

明治天皇メイジテンノウが祀られている主な神社

代表的な神社のほかに、千葉県の土気や北海道の名寄にも、明治天皇メイジテンノウを祀る神社があります。

神社名住所
明治神社千葉県千葉市緑区土気町
下多寄神社北海道名寄市風連町

土気の明治神社は、1912年に設けられた小さな祠を起点とし、翌年に本殿が建てられました。地域の人々による追慕の場として、明治神宮の創建より早い時期から祭祀を続けている社です。下多寄神社では、境内社であった明治神社を2000年に合祀し、明治天皇メイジテンノウを祀っています。

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