飽速玉男命は、安芸国を開き、人々の暮らしの基礎を築いたと伝えられる祖神です。広島県の速谷神社の祭神として知られ、現在は交通安全を願う人々からも広く信仰されています。その歩みには、祖先の天湯津彦命から続く系譜と、安芸の国を治めた人々の歴史が重なります。
飽速玉男命は何の神様?
飽速玉男命は、安芸国を開いた功績によって祀られた神です。安芸は現在の広島県西部を中心とする地域で、飽速玉男命はこの地を治めた安芸国造の祖神として敬われてきました。
国造は「くにのみやつこ」と読み、古代に地方の統治を担った首長を指します。『先代旧事本紀』の「国造本紀」には、成務天皇の時代、飽速玉命が阿岐国造に定められたと記されています。「阿岐」は「安芸」の古い表記です。
速谷神社に伝わる由緒では、飽速玉男命は土地を開き、産業を興し、交通を便利にして、地域の発展を支えた神とされています。亡くなった後、人々がその恩を慕って祀ったと伝えられています。安芸の暮らしを支えた祖神への感謝は、現在も地域の安泰や旅の無事を願う祈りへと受け継がれています。
飽速玉男命の読み方・別名
速谷神社の祭神名は「飽速玉男命」。『先代旧事本紀』や、野間神社・田所明神社では「男」の字を含まない「飽速玉命」の表記が使われています。
| 神名 | 読み方・用いられるところ |
|---|---|
| 飽速玉男命 | あきはやたまおのみこと。速谷神社の祭神名 |
| 飽速玉命 | あきはやたまのみこと。『先代旧事本紀』、野間神社、田所明神社での表記 |
速谷神社では、名前の「飽(アキ)」を豊かさ、「速玉」を神聖な霊と説明しています。この「飽」から安芸の地名が生まれたという説もあり、神名そのものにも土地との深い結び付きがうかがえます。
熊野信仰で知られる速玉男命には、黄泉の国での別れに関わる誕生譚があります。安芸国造に連なる飽速玉男命とは、伝わる系譜や由緒が異なります。
飽速玉男命の御神格・ご利益・ご神徳
飽速玉男命は、土地を開いた祖神として、地域の安泰と人々の暮らしを守る神です。代表的な信仰は交通安全で、速谷神社では厄除けや人生の節目の祈願も行われています。
飽速玉男命の御神格
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御神格 | 安芸国の開拓神、安芸国造の祖神、交通安全の守護神 |
速谷神社では、道や橋の整備、治水、田畑の開墾、機織りなどを安芸国造の人々が進めてきた仕事として伝えています。食べ物を作る田畑も、衣服を織る技術も、人や物が行き交う道も、毎日の暮らしを支える大切なものでした。飽速玉男命は、その氏族の祖神として、安芸に豊かな暮らしをもたらす働きを敬われてきました。
その祭祀は朝廷からも重んじられました。平安時代の『延喜式』神名帳では、速谷神社は名神大社に数えられ、「月次新嘗」と記されています。これは月次祭や新嘗祭に朝廷から供物を受ける神社だったことを示しています。
飽速玉男命のご利益・ご神徳
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ご利益 | 交通安全、道中安全、厄除け、安産、子どもの健やかな成長 |
| ご神徳 | 人々の往来を守ること、災いを祓うこと、地域の安泰と繁栄を支えること |
交通安全の信仰には、畿内と九州を結ぶ山陽道の存在が関わっています。速谷神社には、九州へ向かう旅人たちが長い道のりの無事を祈ったという由緒があり、街道を行き交う人々の守り神として信仰されました。現在は自動車の交通安全を願う参拝者も多く、「車を買ったら速谷さん」と親しまれています。
速谷神社では、厄年に災いを祓う祈祷のほか、安産祈願、初宮詣、七五三も行われています。出産の無事を願い、生まれた子の成長を祈るなど、地域の祖神へ家族の節目を報告する信仰も続いています。
飽速玉男命の家系図・関係する神々
飽速玉男命は、天湯津彦命の五世孫、つまり五代後の子孫と伝えられています。『国造本紀』には祖先と子孫とのつながりが記されており、父母や配偶神、直接の子の名は記されていません。
| 関係 | 神名・説明 |
|---|---|
| 祖先 | 天湯津彦命。飽速玉男命はその五世孫とされます |
| 子孫 | 若弥尾命。飽速玉命の三世孫(三代後の子孫)とされ、怒麻国造に定められたと伝えられます |
祖先の天湯津彦命は、『先代旧事本紀』の「天神本紀」で、饒速日尊の降臨に付き従った三十二神の一柱として登場します。地上へ降りる神を守る一団の中に、安芸国造の祖先が名を連ねているのです。飽速玉男命の系譜は、こうして神々の降臨の物語へとつながっています。
子孫の若弥尾命が治めたとされる怒麻は、現在の愛媛県今治市周辺にあたります。同地の野間神社には、祖神の飽速玉命と若弥尾命がともに祀られています。
飽速玉男命の神話・伝承
『国造本紀』が伝えるのは、成務天皇の時代に、飽速玉命が阿岐国造に定められたという出来事です。安芸の祖神として敬われる神は、この記録の中では、一つの国を任された人物として姿を現します。
阿岐国造に定められた日
『先代旧事本紀』「国造本紀」の記述をもとに、情景や心情、会話を添えて物語にしました。
自分の名が呼ばれ、飽速玉男命は息を止めた。背を伸ばしたまま、次の言葉を待つ。袖の内で握った手に、力が入っていた。
阿岐の国造に定める。その言葉が胸に落ちるまで、ほんのわずかな間があった。天湯津彦命から続く家に生まれた自分が、今、一つの国を任されようとしている。
顔を伏せると、さっきまで耳に届いていた物音が遠くなった。国という言葉の向こうに、そこで暮らす人々がいる。引き受ける役目の重さに、喉がわずかにこわばった。
「承りました」
声は思ったよりも静かに出た。飽速玉男命は息を吐き、ゆっくりと頭を上げた。握りしめていた手をほどき、今度はまっすぐに前を見た。
飽速玉男命ゆかりの神社・祀られている神社
飽速玉男命は、安芸国の祖神を祀る広島の神社と、子孫の伝承が残る愛媛の神社で祀られています。各地の祭祀には、国造の祖先を敬う由緒と、交通の無事や地域の繁栄を祈る信仰が残っています。
速谷神社(広島県廿日市市)
速谷神社は、広島県廿日市市上平良308-1に鎮座し、飽速玉男命を主祭神とする神社です。安芸国の総鎮守として知られています。創建年代は明らかではありませんが、弘仁2年(811)の『日本後紀』には、速谷神が名神に列せられた記録があります。
江戸時代には、広島藩主の浅野光晟が由緒を調べ、慶安元年(1648)に藩費で社殿を再興しました。その後も歴代藩主の崇敬を受け、社殿の造営や修復が重ねられました。
現在の車のお祓いでは、まず社殿で運転者が祈祷を受け、続いて境内の車祓所で車両が一台ずつ祓われます。1月7日には交通安全大祭を行い、一年の交通の無事を祈ります。
10月12日の例祭「阿岐祭」は、安芸の国を開いた祭神に感謝し、地域の安泰と繁栄を願う祭りです。前後の日には、氏子や崇敬者が神輿を担いで地域を巡り、神楽も奉納されます。
野間神社(愛媛県今治市)
野間神社は、愛媛県今治市神宮699に鎮座し、飽速玉命、若弥尾命、須佐之男命、野間姫命を祀っています。怒麻国造の若弥尾命が祖神を祀ったという伝承を持つ神社です。野間姫命は若弥尾命の妻と伝えられ、須佐之男命は後に祭神として加わったとされています。
河野氏の崇敬を受け、江戸時代には松山藩の雨乞いの祈願所となりました。四柱を祀る野間神社は、現在も悪病除けや開運の祈りを集めています。
5月3日の例大祭では、継ぎ獅子などが奉納されます。人の肩の上に人が立ち、上で獅子頭をかぶって獅子を舞う、今治地方に伝わる祭りです。
田所明神社(広島県安芸郡府中町)
田所明神社は、広島県安芸郡府中町石井城1-6-16に鎮座し、飽速玉命を主祭神としています。相殿には祖先の天湯津彦命などを祀っています。安芸国造の後裔と伝えられる田所氏に関わる神社で、かつての安芸国府にゆかりのある地にあります。
田所氏は国府の役人を代々務め、厳島神社の祭祀にも携わってきました。国庁神社・槻瀬明神・大黒社の三社の祭神を合わせ、大正5年(1916)に田所明神社として再建されました。平成10年(1998)には現在地で社殿が再建されています。