倭姫命は、天照大御神を伊勢に祀り、伊勢神宮の始まりを担った皇女として敬われる神様です。鎮座地を求めて各地を旅した伝承や、甥の日本武尊に草薙剣を授けた話で知られています。神に仕えた皇女が祭神となった理由を、斎王との関わりや現在の信仰とともに紹介します。
倭姫命は何の神様?
倭姫命は、伊勢神宮の内宮を創建し、祭りを続ける基礎を築いた功績によって祀られる皇女神です。『日本書紀』に登場する垂仁天皇の娘で、天照大御神の御心を受けて仕える「御杖代(みつえしろ)」を務めたと伝わります。
先に天照大御神に仕えていたのは、崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命でした。その役目を継いだ倭姫命が諸国を巡り、神の望む土地を探して伊勢に宮を定めたと語られています。
神宮の伝承では、鎮座の後も、供え物の調達から神職の仕事まで、日々の祭りを支える仕組みを整えたとされます。神を祀る地を選び、そこで祈りを受け継いでいく土台を築いた皇女として、長く敬われてきました。大正時代には、その功績をたたえる倭姫宮が伊勢に創建され、現在は内宮の別宮の祭神として祀られています。
倭姫命と斎王の始まり
斎王(さいおう)は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えた皇族女性です。倭姫命は、豊鍬入姫命とともに、斎王の始まりを語る伝承上の皇女として知られています。
歴史上の制度として始まるのは、飛鳥時代の7世紀後半、天武天皇の娘・大来皇女からです。天皇の代替わりごとに皇族女性が選ばれ、都から伊勢へ派遣される制度は、南北朝時代まで約660年続きました。倭姫命は、それより古い伝承の時代の斎王にあたり、巡幸の詳しい年代は分かっていません。
「斎宮(さいくう)」は、斎王が暮らす宮殿と、奉仕を支える役所が置かれた場所を指します。「いつきのみや」とも読み、斎王本人の呼び名として使われることもあります。現在の三重県明和町に残る斎宮跡は、歴代の斎王が伊勢で神に仕えた暮らしを伝える場所です。
倭姫命の別名・読み方
倭姫命の読み方は「やまとひめのみこと」です。『古事記』では「倭比売命」と記され、神社では旧字体を用いた「倭比賣命」の表記も見られます。
| 区分 | 名称・読み方 |
|---|---|
| 『日本書紀』の表記 | 倭姫命(やまとひめのみこと) |
| 『古事記』系の表記 | 倭比売命、倭比賣命(いずれも、やまとひめのみこと) |
| 皇女としての呼び方 | 倭姫皇女(やまとひめのひめみこ) |
「倭」は「やまと」、「命」は「みこと」と読みます。「命」は、神や尊い人物の名に添えられる敬称です。
中世の神道書『倭姫命世記』には、瀬織津姫の名も登場します。同書で瀬織津姫と結びつけられるのは、荒祭宮(あらまつりのみや)に祀られる天照大御神の荒御魂(あらみたま)です。荒御魂とは、神の力が際立って現れる働きをいいます。書名にある倭姫命は、その大御神に仕えた皇女を指します。現在の伊勢神宮でも、荒祭宮には大御神の荒御魂を、倭姫宮には倭姫命を祀っています。
また、名前の似た倭迹迹日百襲姫命は、孝霊天皇の皇女と伝わる別の人物です。伊勢に天照大御神を祀った倭姫命は、垂仁天皇の皇女にあたります。
倭姫命の御神格・ご利益・ご神徳
倭姫命は、天照大御神の御杖代として、伊勢神宮の祭祀を整えた皇女です。その功績への感謝が捧げられるとともに、心願成就のご神徳を伝える神社では、心に抱く願いの成就が祈られています。
倭姫命の御神格
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御神格 | 天照大御神の御杖代、伊勢神宮の創祀と祭祀の基礎を築いた皇女神 |
神宮の伝承では、倭姫命は新穀を供える神嘗祭(かんなめさい)などの年中行事を定め、米やさまざまな供え物を納める土地を選んだとされます。神職や奉仕者の役割に加え、祭りに先立って心身を清める斎戒や、祓の作法も示したと伝わります。鎌倉時代に成立した『倭姫命世記』には、こうした神宮の祭りの由来や、神に仕える心得が詳しく語られています。
海の幸を供える習わしにも、倭姫命の伝承が残っています。三重県鳥羽市の国崎には、海女が捧げたアワビを倭姫命が気に入り、この地を神宮への供え物を採る「御贄所(みにえどころ)」に定めたという話があります。現在も国崎では、伝統の技法でアワビを調製し、10月の神嘗祭や6月・12月の月次祭(つきなみさい)に納めています。
倭姫命のご利益・ご神徳
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ご利益 | 心願成就(心に抱く願いの成就) |
| ご神徳 | 心願成就(櫻川磯部稲村神社が倭姫命のご神徳として伝えるもの) |
茨城県の櫻川磯部稲村神社は、祭神ごとのご神徳を案内し、倭姫命について「心願成就」を挙げています。心に抱く願いがかなうよう祈る信仰です。一方、伊勢の倭姫宮では、天照大御神に仕え、神宮の祭りの基礎を築いた功績をたたえて神恩への感謝が捧げられています。
倭姫命を祀る東京大神宮では、良縁や厄除開運、家内安全なども祈られています。これらは、ともに祀られる神々を含む神社全体のご神徳です。とくに縁結びは、万物を生み結ぶ働きを持つ造化の三神との関わりから案内されています。
倭姫命の家系図・関係する神々
倭姫命の父は垂仁天皇、母は日葉酢媛命です。『日本書紀』では、日葉酢媛命が生んだ三男二女の一人として記され、景行天皇とは同じ父母を持つ兄妹にあたります。
| 関係 | 神名・説明 |
|---|---|
| 父 | 垂仁天皇。天照大御神を倭姫命に託した天皇 |
| 母 | 日葉酢媛命。垂仁天皇の皇后 |
| 同母兄 | 五十瓊敷入彦命、景行天皇(大足彦尊) |
| 同母姉 | 大中姫命 |
| 同母弟 | 稚城瓊入彦命 |
| 甥 | 日本武尊。兄・景行天皇の皇子 |
日本武尊にとって、倭姫命は父方の叔母にあたります。東征の前に日本武尊が伊勢を訪れ、倭姫命から剣を受け取る話は、『古事記』『日本書紀』の両方に記されています。遠征に出る甥を支える親族としても登場する皇女です。
『古事記』『日本書紀』には、倭姫命の配偶者や子は記されていません。天照大御神には御杖代として仕え、豊鍬入姫命からはその奉仕の役目を受け継いだと伝わります。
倭姫命の神話・伝承
倭姫命を代表するのは、天照大御神の鎮座地を探し、伊勢に宮を定める話です。ここでは『日本書紀』垂仁天皇25年条をもとに、神を託された皇女の旅を描きます。
神の住まう場所を求めて
『日本書紀』の伊勢鎮座の伝承をもとに、情景や会話を添えて物語にしました。
足を止めると、草のこすれる音が耳に戻ってきた。倭姫命は息を整え、目の前に続く土地を見渡した。ここだろうか。大御神がお鎮まりになるのは、この場所なのだろうか。
豊鍬入姫命に代わって天照大御神を託されたときから、その問いが胸を離れなかった。人の目に美しい土地だからといって、自分の考えで決めるわけにはいかない。いつまでも答えを見つけられなかったらと思うと、歩き疲れた足よりも、役目を果たせずにいることが重く感じられた。
菟田(うだ)の筱幡(ささはた)を訪ね、近江へ入り、美濃を巡った。行く先の道が見えなくなるたび、倭姫命は衣の裾を持ち直し、もう一歩を踏み出した。神の望む場所がまだ先にあるなら、そこまで行こう。
伊勢に入ったときも、はじめは同じように土地を見つめていた。風が頬をなで、衣の裾を揺らす。倭姫命が静かに耳を澄ませると、天照大御神の言葉が届いた。
「この伊勢の国には、常世から波が幾重にも寄せてくる。美しい国だ。私はここに住みたい」
倭姫命は動きを止めた。聞き逃すまいと張りつめていた胸に、ようやく深く息が入った。次はどこへ向かえばよいのかと、もう迷うことはない。
「この地に、お宮を」
口にした自分の声が、はっきりと耳に響いた。目の前の土地は、今しがたまで通り過ぎるかもしれなかった場所だった。ここで神に仕えていくのだと思うと、倭姫命は背を伸ばした。
大御神の言葉に従って伊勢に祠を設け、五十鈴川のほとりに斎宮を造った。磯宮と呼ばれる宮だ。探し求めて歩いた道は、ここへ続いていた。
川の流れが聞こえる。倭姫命は新たな宮の前で頭を下げ、ゆっくりと息を吐いた。顔を上げた先には、天照大御神が住みたいと望んだ伊勢の地が広がっていた。
日本武尊に授けた草薙剣
『日本書紀』では、東国へ向かう日本武尊が伊勢神宮に参り、倭姫命に出発の挨拶をします。倭姫命は草薙剣を授け、気を緩めず慎重に進むよう戒めて送り出しました。
『古事記』では、西への遠征から戻って間もなく東征を命じられた日本武尊が、父は自分に死んでほしいのかと倭比売命に嘆きます。倭比売命は泣く甥に剣と袋を授け、急な事態に遭ったら袋の口を開けるよう伝えました。その後、火攻めに遭った日本武尊は袋の中の火打ち道具を使い、剣で草を刈り払って向かい火を放ち、危機を切り抜けます。
同じ『古事記』には、西への遠征に向かう際にも、倭比売命の衣服を受け取ったと記されています。日本武尊はその衣服で少女の姿になり、敵の宴に入り込みました。倭比売命は、甥の訴えを聞き、遠征を助ける品を託す相手として描かれています。
元伊勢に残る巡幸の伝承
天照大御神が今の伊勢神宮に鎮まる前、一時的に祀られたと伝わる場所は「元伊勢」と呼ばれます。『日本書紀』は菟田の筱幡・近江・美濃・伊勢へ至る道筋を記し、804年の『皇太神宮儀式帳』や中世の『倭姫命世記』は、さらに多くの宮や土地の由来を伝えています。後世には、宮の由来や地名のいわれも加わり、旅の伝承は各地へ広がりました。
奈良県の御杖村にも、倭姫命が訪れたしるしとして杖を残したという伝説があります。神を祀った場所、旅の途中に立ち寄った土地、杖を残した場所など、それぞれの由緒を通じて皇女の旅が語り継がれています。
倭姫命ゆかりの神社・祀られている神社
倭姫命への信仰は、伊勢神宮を開いた功績をたたえる祭りや、伊勢の神々を各地へ迎えて祀る信仰とともに受け継がれています。ここでは伊勢・東京・茨城の代表的な三社と、福岡県の宗像大社境内にある神社を紹介します。いずれも倭姫命自身を祭神として祀っています。
倭姫宮|三重県伊勢市
倭姫宮は、倭姫命を祭神とする伊勢神宮内宮の別宮です。内宮と外宮を結ぶ御幸道路の中ほど、倉田山に鎮座しています。
大正時代の初めから神宮司庁と当時の宇治山田市が創立を願い出て、1923年11月5日に鎮座祭が行われました。神宮の祭祀を開いた皇女の功績をたたえるために建てられた宮で、神宮の別宮の中では最も新しい宮です。5月5日の春の例大祭と11月5日の秋の例大祭では、神恩への感謝が捧げられます。
境内の宿衛屋では、御守や剣祓などの授与品、御朱印を受けられます。周囲には神宮徴古館や神宮美術館などが集まり、「倭姫文化の森」と呼ばれています。
東京大神宮|東京都千代田区
東京大神宮では、「倭比賣命」の表記で倭姫命を祀っています。天照皇大神に仕え、その御心を人々に伝えた御杖代として、伊勢神宮の内宮・外宮の神々などとともに奉斎されています。
1880年、東京から伊勢神宮を拝む遥拝殿として日比谷に創建され、関東大震災後の1928年に飯田橋の現在地へ移りました。神前結婚式を広めた神社としても知られ、現在も伝統の結婚の儀式を執り行っています。「東京のお伊勢さま」の名で親しまれ、伊勢の神々や、その祭祀に尽くした皇女を都内で拝める神社です。
櫻川磯部稲村神社|茨城県桜川市
櫻川磯部稲村神社は、倭姫命や日本武尊など十二柱を祀る神社です。倭姫命には心願成就のご神徳を伝え、東征に出た甥とともに祀っています。
社伝では、日本武尊が東征の際に伊勢の神をこの地へ移し祀ったとされます。春には鎮花祭、秋には例大祭が行われ、地域の人々の信仰を集めてきました。境内と近くの磯部桜川公園を含む一帯は桜の名所として国の名勝「桜川」に指定され、神社や公園の桜は天然記念物にも指定されています。
倭姫命が祀られている主な神社
福岡県の宗像大社には、辺津宮の境内社として倭姫命を祀る御鑰持神社(みかぎもちじんじゃ)があります。本殿周辺に並ぶ摂末社の一社です。
| 神社名 | 住所 |
|---|---|
| 御鑰持神社(宗像大社境内) | 福岡県宗像市 |