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尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)は何の神様?国府宮のご利益とはだか祭の由来 | 神様図鑑

尾張大國霊神オワリオオクニタマは、人々を養う大地の力を神として祀った、尾張の土地の守り神です。愛知県稲沢市の国府宮に祀られ、農商業の守護や厄除けの神として親しまれています。その信仰には、実りを生む大地への感謝と、厄を土へ還して平穏を願う祈りが息づいています。神の名と、尾張の暮らしに根付いた祭りの由来をたどります。

目次

尾張大國霊神オワリオオクニタマは何の神様?

尾張大國霊神オワリオオクニタマは、尾張の国土に宿る力を神として祀った国魂神(くにたまのかみ)です。尾張は現在の愛知県西部にあたる地域で、その信仰は田畑を耕し、日々の食べ物を得る暮らしから生まれたと伝えられています。

国府宮の由緒では、この地へ移り住んで開拓した人々が、生活の糧を生み出す大地の力を敬って祀ったといいます。作物を実らせる土地は暮らしを支える一方、天候や災害によって収穫を失うこともあります。自然の恵みへの感謝と畏れが、土地の神への祈りに結び付きました。

尾張大國霊神オワリオオクニタマを祀る国府宮は、尾張の神々をまとめて祀る「総社」として崇敬されてきました。田畑を実らせる土地の神は、地域の災厄を祓い、尾張全体の平穏を守る神でもあります。豊かな収穫と穏やかな暮らし、その両方への願いが重ねられてきたのです。

尾張大國霊神オワリオオクニタマの別名

尾張大國霊神オワリオオクニタマは「おわりおおくにたまのかみ」と読み、新字体では尾張大国霊神オワリオオクニタマと書きます。「國霊」は国土の霊力を表し、神名の「尾張」は祀られる土地の名です。

国府宮では、かつて大国主神オオクニヌシとして祀られた時期もありました。1940年に国幣小社へ列せられた際、祭神名が尾張大國霊神オワリオオクニタマへ改められています。大国主神オオクニヌシとの結び付きにはこうした信仰の歴史があり、現在の国府宮は尾張の国土の神として由緒を伝えています。

尾張大國霊神オワリオオクニタマの御神格・ご利益・ご神徳

尾張大國霊神オワリオオクニタマへの信仰には、土地の実りを願う祈りと、災厄を祓って安全に暮らしたいという祈りがあります。国府宮では豊作や収穫への感謝を捧げる祭りに加え、厄除けや家族の無事を願う祭りが続いています。

尾張大國霊神オワリオオクニタマの御神格

項目内容
御神格尾張の国魂神、尾張地方の総鎮守神、農商業の守護神、厄除けの神

土地が豊かに実り、そこで営まれる仕事が栄えることは、地域の暮らしの土台です。尾張大國霊神オワリオオクニタマが農商業の守護神として敬われるのも、人々を養う国土の力への信仰と結び付いています。

国府宮では春に五穀豊穣を祈り、初夏の御田植祭には神社北側の御神田で苗を植えます。11月の新嘗祭では、その年に収穫された穀物を供えて感謝します。実りを願う春から収穫後の秋まで、農耕の営みに沿った祭祀が行われています。

尾張大國霊神オワリオオクニタマのご利益・ご神徳

項目内容
ご利益厄除け、五穀豊穣、農商業の繁栄、家内安全、無病息災
ご神徳尾張の土地と暮らしを守り、実りをもたらし、災厄を祓う働き

厄除けの祈りは、年に一度のはだか祭から日々の暮らしへと続きます。祭りが旧暦正月13日に行われることにちなみ、国府宮では1947年から毎月13日に「厄斎講祭(やくいわいこうさい)」も続けられてきました。参列者の名前を読み上げ、厄除けとともに家内安全や無病息災を祈る祭りです。

尾張大國霊神オワリオオクニタマの家系図・関係する神々

尾張大國霊神オワリオオクニタマの親神や配偶神、子神の名は詳しく伝わっていません。国府宮でのつながりをたどると、同じ境内に祀られる二つの別宮の神々が登場します。

国府宮の別宮には、大歳神之御子オオトシガミノミコを祀る大御霊神社と、田心姫命タゴリヒメを祀る宗形神社があります。大御霊神社は境内南西、宗形神社は北東に鎮座し、本社と合わせて「国府宮三社」と呼ばれます。三社はいずれも『延喜式』神名帳に名を連ねています。

「大歳神之御子オオトシガミノミコ」という祭神名は、大歳神オオトシの子であることを表します。尾張大國霊神オワリオオクニタマと両別宮の神々は、国府宮三社として長く祀られてきた関係にあります。

尾張大國霊神オワリオオクニタマの神話・伝承と祭祀の歴史

尾張大國霊神オワリオオクニタマの由来は、国府宮の古い祭場や、土地の安泰を願う神事を通じて受け継がれています。はだか祭の厄祓いと、神の鎮座を伝える梅酒盛神事には、それぞれ異なる由来があります。

五つの石に残る祭場と、尾張の総社

国府宮の本殿に接する場所には、五つの大きな自然石を円形に並べた「磐境」があります。国府宮では「いわくら」と呼び、社殿が建てられる以前の祭場として伝えています。

国府宮が歴史の記録に現れるのは、853年の『日本文徳天皇実録』です。国の祭祀を受ける官社に列したことが記され、のちの『延喜式』神名帳にも社名が載っています。1225年の尾張国司の文書には「一国惣社」と記されており、この頃には尾張全体の神々を祀る総社としての役割を担っていました。地方行政の中心だった国府の近くに鎮座し、国司が祭祀を担ったことが「国府宮」の名に残っています。

はだか祭(儺追神事)に受け継がれる厄祓い

国府宮のはだか祭は、正式には「儺追神事(なおいしんじ)」といい、旧暦正月13日に行われます。起源は767年、称徳天皇の命で全国の国分寺が悪疫退散を祈った際、尾張国司も国府宮で祈祷したことに始まると伝えられています。そこへ裸の寒参りの風習が結び付き、現在につながる祭りの形になったのは江戸時代末期といわれています。

祭りの中心となる「神男(しんおとこ)」は、「儺負人(なおいにん)」と呼ばれる役を務める人です。志願者から神籤で選ばれ、三日三晩、儺追殿に籠もって身を清めます。当日は、神男に触れて厄を落とそうとする裸男たちが集まり、激しい揉み合いになります。

はだか祭には、その場へ来られない人の祈りも集まります。氏名や年齢を書いて厄除けを願った布を笹に結び、奉納するのが「なおい笹」です。祭りに加わる人が、託された願いを神前へ届けます。

また、尾張近郊の地区からは50俵取り、重さ約4トンの大鏡餅が奉納されます。翌日から切り分けられ、この餅を食べて無病息災を願う人々へ授けられます。

旧暦正月14日の未明には「夜儺追神事(よなおいしんじ)」が行われます。ここで用いられる「土餅」は、灰を包み、外側にも灰を塗った黒い餅です。あらゆる罪や穢れを込めたとされるこの餅を神男が背負い、神職が大鳴鈴を鳴らして境外へ追い立てます。神男は道中で土餅を捨て、振り返らずに帰宅し、神職が餅をその場で土に埋めます。罪や穢れを土へ還して国土の平穏を祈るこの儀礼が、儺追神事の本来の意味を伝えています。

⇒【尾張大國霊神社 国府宮】儺追神事・はだか祭の由来はこちら

鎮座を伝える梅酒盛神事

5月6日の「梅酒盛(うめさかもり)神事」は、神がこの地に鎮まった時の姿を伝える祭りです。10歳前後の男児が「神代」と呼ばれる神の代役を務め、装束を着けて神事に臨みます。

この日には飾馬も奉納され、蹄の音が参道に響く「馬まつり」として親しまれています。飾馬の奉納は、1626年に日照りが続いた際、近隣の農民が五穀豊穣を願い、高御堂村から馬を献じたことに始まると伝えられます。現在も氏子から飾馬が献じられ、参道を駆け抜けます。

尾張大國霊神オワリオオクニタマゆかりの神社・祀られている神社

尾張大國霊神オワリオオクニタマへの信仰の中心は、愛知県稲沢市の国府宮です。春日井市の味美白山神社にも、国府宮から神を迎えた境内社があり、厄除けや尾張の安泰が祈られています。

尾張大國霊神社(国府宮)|愛知県稲沢市

尾張大國霊神オワリオオクニタマを主祭神として祀る、愛知県稲沢市の神社です。正式な社名は「尾張大國霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)」で、「国府宮(こうのみや)」「国府宮神社」の名でも親しまれています。名鉄国府宮駅から徒歩約3分の場所にあり、はだか祭で知られるのもこの神社です。

楼門と拝殿は国の重要文化財です。楼門から拝殿、祭文殿、本殿へと建物がほぼ一直線に並ぶ、尾張地方特有の配置が見られます。江戸時代前期の拝殿は、壁や建具を設けずに開かれた造りです。境内には、はだか祭の前に神男が籠もる儺追殿もあります。

厄除けのお守り「なおいぎれ」は一年を通して授与されています。はだか祭の期日は旧暦によって毎年変わるため、祭りに合わせて訪れる際は、公式案内で日付を確かめておくと安心です。

⇒尾張大國霊神社公式サイトはこちら

味美白山神社の国府宮社|愛知県春日井市

愛知県春日井市二子町の味美白山神社には、境内の北社に国府宮社があります。祭神は尾張大国霊神オワリオオクニタマで、稲沢の国府宮から迎えた御分霊が祀られています。

国府宮社では厄除祭が行われ、災難消除、福徳円満、尾張安泰のご神徳が伝えられています。味美白山神社の祭神案内では、尾張大国霊神オワリオオクニタマを大国主命オオクニヌシと結び付けて説明しています。白山神社の本殿は古墳の上に建ち、その境内で国府宮の神を参拝できます。

⇒味美白山神社公式サイトはこちら

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